待ちに待ったウルトラトレイル、「ウルトラ トレイル マウント フジ(UTMF)」
当日の天気は快晴、第一回大会を祝うかのような青々とした空。
UTMFを目前にして、ここ数日は落ち着かない日々だった。
朝ランでは調整のために短い距離を走るつもりがいつものように20km突っ込んでみたり、気持ちの高ぶりに身体も完全同期。
既にUTMFモードになっていた。
会場のど真ん中に位置するゴールゲートを見た時、ついに現実のものとなるんだなと実感した。
100マイルのトレイルレース。
この超長距離にチャレンジしようと自分の思いに火を点けたのは、3年前に放送されたUTMB。
モンブランを取り巻く大パノラマに圧倒され、自分もあの中を走りたいと思ったことがきっかけ。
とは言っても簡単には海外へ行くことは出来ないので、日本で100マイルのトレイルレースが出来ると聞いた時は、本当に嬉しかった。
富士山を一本のラインでぐるっと囲むこのレース。
境界線を超えて100マイルの円を作ることについては、鏑木さんはじめ実行委員の方々は相当の苦労をされてきたこと。
参加する僕らも、限られた公開情報に不安を覚えながらも、それを上回る期待でゾクゾクしていた。
横浜からのツアーバスで会場入りすると、そこにはtwitterやfacebookで知り合ったトレラン仲間が至る所に。
会えば同窓会さながらの雰囲気で固い握手を交わし、UTMF/STYに向けての健闘を誓い合った。
UTMFに臨むまでに積み上げた日々のトレーニング、それが出来たのはトレラン仲間と刺激し合ってきたことが大きい。
もちろん個々の気持ちの強さが根底にはある。
それぞれが置かれた環境の中で、走ることについて夢を持ち、それに向かって努力を重ねている。
それを感じると不思議な事に自分もさらに気持ちが強くなれる。
試走など一緒にトレイルを走る機会こそなかなか作ることは叶わなかったけど、僕の近くで、遠くで皆が頑張っているのを知って力に替えることが出来た。
最終的に立ち向かうのは自分1人、でもその中には仲間から得た力が詰まっている。
同窓会のような仲間との楽しい時間から、次第にレース前の緊迫感へ。
青空の下、このままレースをせずに缶ビールを空けたいねと冗談混じりで言ったが、本心はあながち冗談でもなかった。
開会式。
鏑木さん始め実行委員の言葉には、ようやくここまで来たという思いがこみ上げているのが僕らランナーにも凄く伝わってきた。
何としても完走しようと強く思った。
■スタート⇒AS1 富士吉田市工業団地(18km地点)
15時、スタート。
河口湖から富士山ぐるりと一周、距離156km、累積標高8,500mの旅が始まった。
沿道の大声援を受け、河口湖大橋を駆けて行く。
横殴りな風に吹かれても足取りは軽く、始まったばかりの旅に心躍らせていた。
河口湖大橋を越え湖岸を抜け、トレイルへ。
途中、トレラン仲間の吉成さん、湯川さん、和木さんに会い挨拶を交わす。
序盤の入り方は人それぞれ。
僕は最初からペースを上げてしまう方なので先に行かせていただく。
トレイルに入ってからもあれんさん、島哲さん、ランチさん、まらそんもんくさん、こういちさん、二朗さんにお会いした。
旅のワクワク感を抑えきれず、みなさんと会話しながらペースを整える。
喋りながらこのままゴール出来たら楽しいんだろうなとふと思った。
まぁそんな訳にも行かず、それぞれのペースにバラけて行くのであった。
登りが終わると開けたガレ場の下り。
体力も十分余っているので、流れに任せて勢いよく飛ばす。
下りはスリルがあって楽しい。
身体を地面に垂直に立て、スキーのようにして坂を駆け下りる。
この区間で何人かまとめて抜かせてもらった。
その時である。
走行中、木の枝が自分の両脚に挟まり、右足首を引っ掻くようにして折れた。
痛っ~。
足元見ておかないと危ないな。
大事に至らなかったので胸を撫で下ろしていたら、何か足首付近が変。
よく見てみると、c3fitのロングタイツ、足首部分がパックリ破けていた(ToT)
う~、金欠なのに!
縫って使い切るか...
傷口は浅い切り傷になってて汗が染みるが、走りには影響なし。
c3fitが破けたのはショックだったが、気を取り直してレース続行。
最初のエイドステーション、A1到着。
到着時刻は16時59分、74位。
エイドに着くや否や、パンやチョコを口に放り込み、うどんをいただく。
エネルギーは切らさず補給を怠らない。
トイレもしっかり済ませ、A2に向けて出発。
■A1⇒A2 二十曲峠(31km地点)
A2二十曲峠までの10km。
杓子山に向かって5kmほど登って下るコース。
まだ20km程しか走っていないし補給もしたし走力も十分ある。
力を温存しながら長い登り坂を駆ける。
ランナーの帯は次第に広がり、30m間隔位に広がって来た。
ロードが終わり、いよいよトレイル区間に入る。
杓子山はとりわけ急勾配でもなく普通のピークのひとつ。
次のエイドまで13kmの距離しかないので、さっさとA2に到着する...
...ハズだった。
突然の腹痛。
腸が波打ちゴロゴロと鳴り始める。
あれ?
ゴロゴロ、ギュルギュル...
山を登ってるはずなのに、腸は激坂ダウンヒルを真っ逆さまに下っている...
下痢(以降、OPP)である。
一定間隔で刻む腸のビートに走るペースががた落ち。
杓子山山頂が果てしなく遠く感じる。
腸のビートが徐々に狭くなり、顔からも血の気が引き始める。
腸の調子が怪しくなってきた頃から正露丸を投入するも、効果が出るのは未だ先。
リスクヘッジのためにスタート前から飲んでおけば良かったか。。。
途中のロードで比登美さんに遭遇。
力強いランで駆け上がるのを尻目に情けない表情で「PPっす(ToT)」と言うのが精一杯。
別れ際、比登美さんから「終わったらみんなで飲もう!」と言われた。(ような気がした)
こんな序盤では間違っても終われないのでひたすら耐え忍ぶ。
このあとさらに後続のランナーに数え切れない程抜かれ、立ち止まっては歩きを繰り返しながらようやくA2 二十曲峠到着。
到着時刻は19時54分、147位。
速攻でピットイン。
なんとか事なきを得る。
今振り返ればUTMF最大のピンチだったかもしれない。
食欲自体は全く問題ないのでエイドではドリンクもバナナやパンなど食糧を十分いただく。
しかしながら腸は、危機は脱したものの腹の底から力が入らない。
完全回復するまでは我慢するしかないな。
念のためさらに正露丸を3粒投入し、エイドを出発。
■A2⇒A3 山中湖きらら(38km地点)
次のエイド、山中湖きららまで7km。
標高1,412mの石割山を200mほど登り400m下る。
エイドまでの距離が短いのは腸にとってとても有り難い。
ひたすら徐行。
腹が揺れると違和感を感じつつ、走り続ける。
途中で野人の会の仲間、田中さん、松林さんに合流。
足取りの差は歴然だったが、なんとかついて行く。
A3 山中湖きららに到着。21時10分。201位
エイドには大勢の人々。心温まる声援と身体温まる汁物をいただいた。
エイドには、UTMFに出場している彩子さんの応援に駆け付けた夏香さんや、ボランティアとして参加されているelbさん。
しんどい状況でも、トレラン仲間の顔を見ると気持ちがホッとする。
しばし談笑しつつ記念撮影したりして小休止。
10分以上居ただろうか、英気を養ったところでエイドを出発。
■AS4⇒AS5 ずばしり(54km地点)
次のエイドはA4 54km地点のすばしり。
3km程ロードを越えるとトレイルに入り10km弱アップダウンするストック禁止区間。そして3km程下る。
地図上の3kmは全く大した距離ではないのだけど、実際に走って見ると気が遠くなるように長い。
少なくとも20分も経てば着くさ。
と思えどその20分が恐ろしく長い。
神経が高ぶっているからか、時間の濃度が高く感じる。
そしてエイド出発時に一緒に走り始めた田中さんとの距離は次第に開いていき...ついに見えなくなった。
また一人旅。
真っ暗なトレイルをPETZLミオRXPのヘッドライトひとつで走る。ハンドライトはジェントスを持ってきたが、電池セーブのためサブ用としてパックに待機。
相変わらず腹から力が出ない。
周りのペースについていけず、ずるずると順位を落とす。
粘れないというか何というか。
あれ、何人位に抜かれたっけ?
順位のことを考える余裕すらなく、とにかく前に進むことだけを考えていた。
アップダウンを終えて3km下り、後ろからハリ天さんが颯爽と現れた。
木の枝をストック代わりに使いこなしている。
私の調子を見て、声を掛けていただいた。「この先長いからまだ大丈夫!」
そうだよな。
復調するのを信じよう。
辛いのは相変わらずだったが、続けていればいつか絶対良くなる。
終わらないOPPはない。
そんな確信だけは持っていたw
しかしながら、下りは胃腸が上下に揺れるのでことさら辛い。
揺れを最小限に抑えるためスピードを落としつつ、なんとか坂を下りきる。
日付が変わって午前0時24分 A4すばしり到着。
順位は233位。
すばしりでは鏑木さんが待機していて、エイドを出発するランナーをハイタッチで見送ってくれた。
そんな爽やかな光景を尻目に私はトイレ直行(苦笑)
エイドでは先行していた増田さん、外山さん、野人の会田中さん、後からチームサロモン仲間の松本さんも合流。
スポーツドリンクとバナナ・菓子類の補給を済ませ、エイド出口でなめこ汁をいただく。
このとろみある汁が、胃腸に効いてくれることを願って。
■AS5⇒AS6 富士山御殿場口太郎坊(60km地点)
補給も十分にエイドを出発。
次のASは8km先、AS5 富士山御殿場口太郎坊。
いよいよこれまで試走禁止区間とされていた、陸上自衛隊の演習場敷地内に入ることになる。
ここよりしばらくストック禁止区間が無いので、迷わずストックを使用。
エイドを出ると3kmほど直線のロードを300m登る。
杖のようにストックを使ってるのがこれまた情けないのだが、そうも言っていられない。
エイドから一緒に出発した田中さんとしばらく直列状態で進む。
登り、歩きである。
やはり走るのと歩くのでは掛かる時間が全然違う。
そんな調子で後続のランナーに次々と抜かれていく。
精神状態によって距離の感じ方がこうも変わるのか。
長く長く感じた3kmのロードをようやく上り詰め、試走禁止区間の陸上自衛隊演習場敷地内に入る。
黒い大粒の砂が敷き詰められたような場所。走るたびに足が沈む。
足首に砂が入り込み、何度となくシューズを脱いで砂出しをする。
足首のガードがあればいくらか良かったのかも知れない。
所々で広い道と交差する。
演習時はこの道を自衛隊の車両が通るのだろうか。
そう思うとこの道を走っている事自体が貴重なことなんだな…
平坦路を抜けるとさらに300mほど登る。
目指すは1,422m地点、富士山御殿場口太郎坊。
標高が上がるごとに吹きさらす風が本格的に冷たくなる。
夜に入ってから雨天時用のバーサライトジャケットを着ているが、防寒着としては不十分。
ノースリーブの上に着ているものだから、風で冷えたジャケットがピタピタ肌に触れ、それ自体が冷たい。
動いている分には凌げるが、完全に止まってしまったら。。。
動くしかない。
頂上を目指す途中、どこかで体育会系若者の声出しが聞こえてくる。
自衛隊?
腹の底から絞り出すような野太い声。
頂上からの声だろう。
登るたびにその声が近づいてくる。
声の主に会えればそこがエイドなのだろうか、そう信じて歩みを強める。
数分後、頂上に到着。
5,6人のスタッフが休むことなく声を張り上げている。
この声で何人ものランナーを頂上まで引っ張り上げてくれて来たんだろうな。ありがとう。
午前2時38分、富士山御殿場口太郎坊到着。
順位は243位。さらに順位を落とした。
頂上は冷たい空気に包まれていた。
止まって休めるような気温ではなく、止まると身体が一気に冷える。
トイレに行き、ライト交換し、そんなことをしているうちに身体がすっかり凍えてしまった。
手がかじかんでライド操作も覚束ない。
寒さに逃げるようにエイドをあとにした。
■AS5⇒AS6 水ヶ塚公園(66km地点)
ここから次のエイドは、6km先の水ヶ塚公園。コースは全てアスファルト。
この程度の距離と路面、普段なら30分程度で走れてしまうコース。
しかし今はUTMF。
午前3時。つまり眠気は最高潮。
頭が睡眠を欲している。
頭から身体に「走れ」の指示が伝わらない。
ストライキを起こされているように動かないのだ。
ランと歩きを繰り返し、次第に意識が朦朧としてくる。反射テープから発する光や道路脇の木々が人に見えてくる。
眠気のあまり幻覚が見え始めたようだ。
もう眠ってしまいたい。
毎朝3時半に起きている私は、そろそろ起きる時間だと言うのに…
何時間も夢の中を歩いた気がする。
次のエイドでは絶対に寝よう。
そう思っていた。
そんな中、ひとりのランナーに出会う。
しばらく併走(というか併歩)していたので、なんとなく打ち解けていた。
私はかなり眠いので、次のエイドで寝ようかと思ってることを愚痴混じりにこぼした。
すると「日が昇れば眠気が取れるよ」と教えてくれた。
一度眠ってしまったら二度と走りたくなくなるだろう。
自分に太陽光を当ててどこまで復活するかは未知の世界だが、私は彼の言葉に従い、睡眠は取らないことにした。
暗闇の世界が灰色になり始めた。
午前4時4分、AS6水ヶ塚公園到着。253位。
エイドに着くと緊張感が一気に解れる。
何といっても美味しい食べ物を食べることができる。
どんなに疲れていても眠くても腹を下していても、食欲があるのが救い。
冷え切った身体をストーブの前で温め、温かいうどんと水餃子をいただく。
生き返る~。
さらにとんかつハンバーガーまでいただいた。
結構躊躇している人はいたけど、かなり美味しかった。
徐々に空が灰色から青色へ。
いよいよ日の出。
食後の眠気もない。
エイドに着いたころよりも力強く、出発。
目指すは中間地点、富士山こどもの国へ。
■A6⇒A7 富士山こどもの国(75km地点)
水ヶ塚公園から富士山こどもの国までは9km、標高差500mを下る。
ロードから途中、スキー場のコースを下り、入り組んだシングルトラックのトレイルへ。
追い越し禁止区間が何度もあり走りづらいコース。
でも栄養補給したおかげで足取りは力強い。
そして何より良かったのは下した腹の調子が回復してきていること。
今までは下りで走ると腹が刺激されて力が出ない状態だったが、今は腹から踏ん張りが利く。
下りでもしっかり腹が踏ん張ることができるため、走りの切れも徐々に戻ってきた。
そろそろ反撃の狼煙を上げようか。
ダブルトラックの林道に入り、緩やか な下りに入る。 対向から複数のランナーが登って来 る。 富士山こどもの国を出発した先行のラ ンナー達だ。
エイドまであと少しか。 先行するランナー達にエールを送る。 その中には増田さんもいた。
私からは体調復活したことを報告し、 増田さんからは
「GOOD LUCK!」
力強いエールをもらった。
ある意味、ここからが本当のスタート。
力強さを増してひた走り
午前5時46分、UTMFの中間地点、富士山こどもの国に到着。229位。
エイドに到着すると、リキさん、バン ビさんが出迎えてくれた。
先行してい たハリ天さん、ランチさんに合流。
おにぎりを食べてシャリ補給。
その後ドロップバックを受け取り、上着を着替えた。
食糧は後半分用意してはいたが、アミノバイタルとジェル少々を補給。
シリアルバーは口の中がパサパサして殆ど 消費しなかったので、後半不要と判断し返却。
腰のボトルポーチも重かったので、ドロップバックに戻した。
胃腸も装備も軽くなり、いよいよ後半戦が始まる。
■AS7→AS8 西富士中学校(100km地点)
ダブルトラックの林道。
とにかく飛ばした。
ストックを前脚のように使い、平地も登りも走った。
先行するランナーを何十人抜いただろうか。
今までの不調が嘘のように身体が軽い。
7時を過ぎると太陽が容赦なく照りつけてくる。 一気に水分消費が増えてきた。
でもハイドレ1.5ℓ、ボトル左右1ℓと たっぷりあるため、底をつく心配はない。
送電線沿いの細いトレイルに入る。
アップダウンを繰り返し、太陽を遮る日陰がほとんど無い。
幸い、ドロップバックから取り出したネックウォーマーを日よけ代わりに着用していたので、首に当たる直射日光は防げた。
それでも長時間太陽に晒されるわけに はいかないので、日なたではペースを上げ、日陰では ペースを落とし、なるべく太陽に当たる時間を減らすようにした。
ランナーの背中を見るとペースを上げ て差を詰め、射程圏内に入ると一気に 追い抜く。 そんなゲームを楽しみながら延々と続 く送電線沿いのコースを走り続けた。
結局、60人近く抜いた。168位。
午前9時55分、西富士中学校到着。
中学校では、バナナやチョコ類はもち ろんのこと富士宮焼きそば、冷やしお 汁粉、オレンジジュースなど品揃えが 豪華。
食欲満点、2つずつ食べまくった。
到着すると、所属するランニングチー ム「TBRC」の矢口さんが出迎えてくれ た。
大会のボランティアとして参加されていて、マッサージの案内を担当しているとのこと。
体育館では、ニューハレのテーピング サービスとストレッチ、マッサージの サービスがあることを教えてくれた。
次のコースは、UTMF最難関の天子山地。 万全の準備で臨みたいので、迷わずマッサージに直行した。
マッサージの先生は、あの奥宮さんも通う「聖整体院」の北原先生。 膝回りのマッサージをお願いし、約15 ~30分コース。
かなり痛い。。。
脚の表と裏の両面を強烈な指圧、激痛混じりの気持ち良さ。
それに下半身だけでなく上半身の姿勢 の歪みまで矯正していただいた。
おかげさまでマッサージ後は身体の張りが取れ、すっかり柔らかくなった。
補給もマッサージも万端。
30分以上のロスはしたが、それ以上の価値がある時間だったと思う。
■AS8→AS9 本栖湖スポーツセンター (127km地点)
さて、目指すはUTMF最大の難関、天子山地を越える27km。
トップランナーでさえ、5時間は掛かると見られているこの区間。
自分は一体何時間で抜けられるのだろうか。。
天子に入る前に農村地帯を駆け下りる。
家の前でおじいさんおばあさんが頑張ってと応援してくれた。
ここからしばらく地元の方に応援されることはないだろう。
力強く手を振って応えた。
天子山地は、標高500mから天子ヶ岳1,300mまで一気に上がると、アップダウンを10kmほど繰り返す。
そしてさらに2,000m付近まで登ってアップダウンを繰り返したのち、一気に1,000mまで落ちる。
まずは500→1,300mの登り。
2kmで800m上がるので結構な勾配ではあったものの、ストックの扱いもかなり慣れてきたのでさほど苦はなく登れた。
しかし問題はその先。
長者ヶ岳を越えるとコースマップにも掲載されていた「崩落注意」の足場が狭いトレイルが続く。
しかもアップダウン。
足場の悪い岩場を下ってまた岩場を上がる。そしてまた下る。
そんなテクニカルな路面の連続が、心を萎えさせていく。
途中からSTYのトップランナー達と遭遇することになる。
トップは宮原さん。
急登をストックを使って、尋常でない速さで駆け上がっていった。
トップの走りはこうも違うのかと、しばし愕然。
このあと数分ないし数十分間隔でSTYランナーに抜かれていく。
天子山地の下りは、岩や木の枝に覆われた急坂。
走る余裕はなく、ストックで足場を確保しながらゆっくり降りる。
手持ちのストックはBlackDiamondのウルトラディスタンス。
今までは自分の前脚替わりにサポートしてくれて心強い限りだったが、異変が...
ウルトラディスタンスは3本の短いポールを接合して出来る「折り畳み式」のストック。
接合部はラバー素材で繋がれている。
下りでストックを地面に刺して引き抜くと、接合部がすっぽり抜けてラバーがむき出しになってしまった。
長い一本のストックが、ラバーむき出しのヌンチャク状態に。
これでは地面をまっすぐに突けない。接合部を固定するストッパーが無いのか…
抜けた接合部をはめ直しては、また下りで抜ける。
そんな作業を繰り返しているうちに苛立ちが募っていく。
急な下りに、毎回接合部が抜けて分解するストック。
どうにもならない状態に感情を抑えきれず、トレイルとストックに八つ当たり。
今思うと何とも情けない姿だっただろう。
そんな時、下りの岩場でバランスを崩して、後ろ向きに転倒。
岩に右肘を強打した。
手を突く間もなく、直接肘から落ちてしまった。
まさに泣きっ面に蜂である。
出血し腫れてはいるが、幸い骨までは逝ってない。
気を取り直してレースを続ける。
ようやくアップダウンも終わり、標高1,945m、毛無山への登りに入る。
今までのアップダウンの道は、自分が今何km地点にいるのかが把握できず、精神的にしんどかった。
suuntoのfootpodは既に10km近くの誤差が出ていてアテにならない。
逆に、登り一辺倒はしんどいことは確かだが、標高を見れば自分がどれくらい進捗しているのかが分かるので、精神的には楽だった。
ゆっくりだが足取りはしっかりと毛無山目指して登っていく。
途中、ゼッケンの若いランナーに遭遇。
7番の大内さん。
歴代ハセツネ優勝者だが、何かトラブルがあったのだろうか。。。
NHKの取材スタッフなのか、カメラマンが大内さんを背後から追い、インタビューしているようだ。
大きなカメラを抱えながらよく走れるな。
近くだったのでお話が聞こえた。
UTMFはお父様とご一緒に出場しているとのこと。自分は走るのをやめようと思っていたが、お父様がまだ走られているのを聞いて再び走ることにした、と。
約束なのか意地なのか、タイム以上に大切なものを感じた。
何だが胸が熱くなった。
インタビューが終わったのか、しばらくするとカメラマンが大内さんを追うのをやめた。
ということは次のインタビューは私か?
なんて淡い期待をしてみたが、スルーされた(苦笑)
標高1,900m。
毛無山の看板。ようやく毛無山の頂上についたかと思ったが、まだ山頂付近。
このような「ニセ山頂」がいくつもあり、何度も巻き道をしてようやく毛無山に辿り着く。
ようやくUTMF最難関、天子山地のピークに到着した。
ここからは下り基調。
登り同様、巻き道をアップダウンしいつになったら降りれるのやらと痺れを切らす。
山頂付近に着くあたりから、雨が降りだしている。
標高2,000mで降る雨は冷たい。
天子山地では疲れからきているのか、どうも感情的だ。
どこにもぶつけようのない辛さが溢れ出てしまっている。
後ろから軽快に走るランナーがひとり。
ちゃんぷさん。
私のペースの倍は出ていただろうか?
私を激励し、また軽快に去っていった。
爽やか過ぎる!
下り途中、東側には富士山。
ガスッて麓は全く見えなかったが、山頂部分がにょきっと顔を出していた。
思わず足を止めてパチリ。
ペースは上げられなかったが、イーブンペースで地味に下りを走り続けた。
毛無山を下山。
ようやくレースの山場が終わった。。
後は平坦路を走って次のエイドに行くだけ。
そんな気持ちでいたところで、増田さんと再会。
会って早々、増田さんからの悪いお知らせ。
実はこのあともうひと山越えなければならないらしい。。。
竜ヶ岳。
UTMFの高低図では標高差50mもない台地のような場所。
実は標高差400mはあるようだ。
スタッフの人に聞くと、山を越えるには早い人でも1時間掛かるらしい。
毛無山降りてきてまたこれを登るのかい。。。
高低図うそやん。
チーン!
自分の中で何かが終了した。
聞いてない~。
終了したのは体力なのかモチベーションなのか。
もう登りはないと思っていただけにショックは大きい。
ここからは増田さんと行動を共にした。
増田さんはストック無しで登り坂をグイグイ登っていく。凄い。
それに引き換え私は、ストックにすがりながら何とか登る。
UTMF前からロングトレイルでしっかり鍛えてきているので、やはり確実に強くなっているのだと思う。
自分ひとりで走っていたら心折れてズルズル落ちてしまっていたところを、一緒に走ることで随分救われた。
エイド付近で一度ミスコースしたものの、何とか本栖湖スポーツセンターが見えて来た。
UTMF最大の難関を越えた安堵と、まさかの高低図表記ミス(?)によってふてくされ、最後の1kmは歩いた。
竜ヶ岳ありえねー
腹減ったー
カレー食べたいー
そんなことを一緒に歩いたランナーと話しながら、本栖湖スポーツセンターに到着。
19時56分。
西富士中学校に到着してからまさに10時間近くの長旅だった。
129位。
センターに着くと建物内には食堂や休憩所があり、エイドとしてはなかなかの充実ぶり。
食堂では、丼もの鹿カレーのサービス、テーブルにはコーラとアクエリアスのペットボトルが置かれており、リラックスムード満載である。
ここで数時間寛いでいたい気分になってしまう。
食堂で増田さんと百戸さんに合流。
同じテーブルで鹿カレーをがっつく。
食事をしながら交わす話題は、天子山地のこと、ここから先のコースのこと。
竜ヶ岳の不意打ちがあってからというもの、ここから先も高低図には載っていない難関が待ち受けているのではないかと疑心暗鬼になっていた。
そんなことを言いつつ食事休憩を程々に済ませ出発の準備を始める。
そんな時、見たことのある姿が。
ランニングチーム「TBRC」の笠井さんだ。
笠井さんはマラソンランナーでありトライアスリートでありトレイルランナーでもあるマルチアスリートな方。
今回は応援に来てくれた。
思いがけない再会に驚いたが、UTMF/STYに参加しているチームの仲間のためにわざわざ応援に来てくれるなんて本当に有り難いこと。
レース中は自分のことで頭が一杯だったので、ちゃんとお礼を言えてなかったかも知れない。
この場をお借りしてすみません。。
補充を済ませたところで、増田さん、百戸さんと3人でエイドをあとにした。
■AS9→AS10 鳴沢氷穴(142km地点)
本栖湖スポーツセンターから鳴沢氷穴までの道は、高低図からすると緩やかな登り。
ロード基調で、途中青木ヶ原樹海脇の林道を挟んでまたロードに戻る。
4月に走ったチャレンジ富士五湖のコースとも重なる。
前半は終始3人でファンランモード。
レースのことはどこか頭の片隅に追いやって、UTMFのこと、今まさに走っている仲間のこと、普段の生活のことなどを話し込んでいた。
制限時間を気にする時間帯でもないし、目標タイムも30時間~36時間辺りで考えていたのでまだ目標圏内。
こんな展開もいいなと思った。
普段のレースではなかなか実現しない、これは超長距離レースならではの風景かも知れない。
この間、幾人ものランナーに抜かれて行ったが構わなかった。
結局、区間15km行程の半分近くを3人で走った。
ロードの登りに入ると、ペースがバラけ始めたので私は再び走ることを決め、二人と別れた。
ここから改めてレースモードに戻る。
しかしこの頃、長いロードに膝が軋み悲鳴を上げていた。
ストックで膝への衝撃を軽減させるも、走っては歩き、歩いては走りを繰り返す。
走れないわけではないが、走ると痛みだす。
走りの中に歩きを取り込み、膝がこれ以上痛まないように折り合いをつけてのランだった。
22時28分、鳴沢氷穴到着。117位。
■AS10→ FINISH 河口湖大池公園(156km)
ラスト14km。
東海自然歩道に入り標高1,356mの足和田山を越え、河口湖沿いを行くと、ゴールへ辿り着く。
これまで140kmの行程を走ってきた。その距離の10分の1を走ればよい。
足和田山までは約2km。
標高差300m強の登り。天子山地とは比べ物にはらないほど楽ではあるが、ダラダラとした登りは意外と精神的に参る。
それでもストックを頼りに走行ペースを維持し、淡々と走る。
ロングトレイルでは延々と続く苦しさを前に、弱音を吐く場面が何度となく出てきた。
鏑木毅さんが言っていた「楽しむ勇気」を持って欲しいというのはきっとこういう場面なのだろうと思った。
コース自体は誰にも平等であって、そこを走って苦しい思いをするのは誰も同じこと。
ただ、その苦しさをどう感じるのかは人次第。
苦しさを前にただパフォーマンスをただ落としていくのか、力に替えていけるのか、分かれ目なのだと。
足和田山に到着。
スタッフの方が山頂であることを告げる。
山というより長い坂を登りきった感じ。
あとは下りのみ。
ラスト10kmのロングスパート。
トレイルを走ったおかげで膝の痛みも引いてきて、体力的な余力もある。
先行するUTMF/STYランナーを十数人追い抜く。
鳴沢氷穴で抜き去られた時のランナーが大勢いたが、最後に借りを返せた。
細い道では先行するSTYランナーの集団が道を譲ってくれ、エールを送ってくれた。
トレイルを降りて河口湖畔へ。
ラスト5km。
湖畔からゴールまであと5kmもあるのには驚いたが、まだまだスパート出来る。
キロ4分台では走れていたのではないだろうか。
湖畔の曲がりくねった道を勢い落とさず走り続ける。
夜中の12時過ぎで湖畔は暗く、コーステープは見えづらい。
ゴールの目印となるものを探した。湖越しからゴール地点にあるNorth Faceの白いドームがうっすらと。
コースが曲がりくねっているため、ゴール地点はすぐに隠れてしまうが、何となくの距離間だけは掴めた。
河口湖大橋がだんだん近づいてくる。
ロードの衝撃で膝の痛みはぶり返していたが、それ以上にもうすぐゴール出来るという喜びの方が上回っていた。
会場近くまでくると、大会スタッフの方々が道案内をし、最後の声援を送ってくれる。
走るペースもさらに上がる。
河口湖大池公園。
長かった旅がようやくここで.....
午前0時43分。
ゴールゲートを潜り、振り返って深く一礼。
フィニッシュタイムは33時間43分27秒、104位。
私のUTMFが終わった。
156kmという超長距離を走ったこと
昼夜問わず走り続けたこと
腹を下しながらも復活できたこと
そのどれもが私にとって初めての経験。
UTMFの洗礼を受けつつも持ち堪えることが出来たのは、自分にとって大きな自信になったと思う。
と同時に、レースの壮大さに完全に魅了された。
これから私は、数多くの100マイルレースに出ていくのだろう、そう思った。
自分が今、今までとは違うトレイルランニングのステージに立っているということを実感した。
また帰ってくるよ!
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