去る7月13日(土)、おんたけウルトラトレイル100マイルレースに行ってきた。
■2013年、100マイルのラストレース
2013年に出場する100マイルレースは、このおんたけで最後。
本当は9月の八ヶ岳に出たかったのですが、所用により参加出来ず。
思いがけず今年は少し早い100マイルラストレースとなった。(でも100マイル以外は出ますよ)
おんたけの100kmは2回走ったことがあるけど、100マイルの方は初めて。
100マイルのコースといえば、心折れてしまうコースとして有名。
基本は100kmのコースとほぼ一緒だけど、コース上に3か所、100kmコースから外れて約20kmずつループする箇所がある。ループするということはつまり、迂回してグルっと元の場所に戻るということ。
レース前にこの地図を何度も見たけど、何度見ても気が滅入る。
そして三番目、最後のループはゴールまであと6kmと迫りつつもさらに20kmのループへ引き戻されてしまう。
邪悪な双六以外の何物でもない。
100kmコースを1.6周した方がまだ気分的にいい気がする。
まぁいろいろと辛い妄想をしつつも、それでも心の底ではワクワクしているのだから、我ながら変態だと思う。
ループの難易度が分からないものだから目標タイムは特に決めず、
ざっくり19時間から22時間くらいの間でゴール出来ればいいかなと思っていた。
■レース前
今年は、IZU TRAIL JOURNEY、UTMF、多摩川源流ぐるり等を走ってきて感じたことがある。
それは、「補給の大切さ」、「身体の重さ」、「右足の違和感」。
まず最初に補給の大切さ。
50kmを超える長丁場のレースは、水や食糧の補給なしでは走り切ることが出来ない。
特に燃費の悪い私は、マメに補給をしないとハンガーノックに陥ってしまう。
IZU TRAIL JOUNEYでは、走れるコースで調子に乗って補給を疎かにしていたところ、途中から急に身体が動かなくなりハンガーノックに近い状態になった。補給してしばらくしたら走れるようになったけれども、回復するまでに相当な時間のロスがあった。こういう経験則は痛い思いをしないと身につかない。
これに懲りた私は、30分~1時間おきに必ずジェルやトレイルミックス、アミノ酸の補給を自分に義務付けることにした。
次に、身体の重さ。
身体がだるくて重いとか体調不良という訳ではなく。。。
純粋に体重が重い、体脂肪が多いという話。
体重64kg、体脂肪率17%。つまり脂肪が10.9kgもあるというわけ。
体調はバッチリで身体が動いているものの、10kg近くの体脂肪を抱えて走ることが重いのは想像するに容易い。
周りのランナーは体脂肪率10%程度なのに対して、重量ハンデがあり過ぎる気がしていた。
いや、知ってはいたけど目を背けていたのかも知れない。好きな食事を我慢したくないから(苦笑)
そんな自分でも、体重が重い→カロリーを多く消費する→補給品の荷物が多い→余計にカロリーを多く消費する
そんな悪循環をどこかで改善したいと思っていた。
だから、6月からの1ヶ月は夕食の糖質補給はなるべく避けた。
いままでご飯三杯食べていたのを一杯のみに制限し、体重を64kg→60kg、体脂肪率を17%→14%まで減らした。
体脂肪は10.9kg→8.4kgに減少。と言ってもまだまだアスリート体型とは程遠いのだけど。。。
最後に右足の違和感。
自分には「膝が正面を向いてるのに右足のつま先が外側に向いてしまう」そんな違和感がずっとあり、先日、ランニング仲間のサメさんが経営する治療院で診ていただいた。分かったのは、自分は右足が外側に倒れるアンダープロネーション(写真左)である事。
自分では膝が内側に倒れる感覚があったのでオーバー気味かと思っていたけど、真逆の結果だった。
考えられる原因は筋肉の固さと内外筋力のアンバランス。
通常は、臀部にある中殿筋や梨状筋が脚を外側に引っ張り、内側の縫工筋や薄筋で均衡を保つものだけど、内側の筋力が弱く、足が外旋してしまっている。サメさんに中殿筋をほぐしていただき、さらに内側の筋肉を意識しながらエクササイズすると、ニュートラルな状態(写真右)に戻った。
違和感の原因が構造的に分かり本当良かった。走り込むだけでなく、ストレッチもしっかりやらねばと痛感。
それからというもの、内側の筋肉を鍛えるためのストレッチと、バランスを意識したランニングフォームを心掛けている(つもり)。
■レース当日
野人の会の武田さん、純子さん、瀬ノ口さんと一緒に車で移動。
いつもは電車でひとり移動していたのだが、諏訪パーキングでランチしたり楽しい旅路となった。
特に渋滞に遭うこともなく14時前に現地入り。
100マイルのスタートが20時なので、到着して最優先すべきは睡眠。なのだけれども、うまく寝れたためしがない。
ウェアや装備品のチェックをしたりニューハレ貼ったり、忘れ物はないかとどうも落ち着かない。
結局、1時間ほどしか眠れなかった。
夜スタートはレース前の睡眠確保が難しい。努めて横になるようはしたけれど。
■スタート~第一関門(52km)
夜20時、王滝小中学校をスタート。100マイルは総勢100人超といったところ。
100マイルだけにスタートのペースは緩やか。
それでも身体が高揚しているのか前に前にとペースアップしていく。
ペースを自重しつつも、前を見ると前方に6人しかいない。
<まさかの上位>
心拍数は160bpm強。
無理なペースではないので、ペースを維持したまま走る。
沿道では、夜にも関わらず多くの方が僕らランナーを応援してくれた。
ついにお祭りが始まったんだな。
最初は登り基調のロード、そして5kmほど走ると林道へ。
いままで感じていた右足が外に開いてしまうという違和感もなく、着地した右足の動力がそのまま減衰することなくキックに活かされている感じがする。
いつになく登りが力強い。
序盤ながら、思いがけない順位に場違いな感覚を持ちつつも、淡々と走った。
15kmほど走ったところで1度目のループ。
100マイルコースの者は、100kmのコースを20kmずつ合計3回、ループというコースの迂回をしなければならない。パラパラと雨が降る中、スタートから5km地点の林道入口にぐるりと戻った。
それまでに二人程に抜かれたが、そもそもが上出来なポジション。
身の丈にあった順位になるまでは抜かれても仕方ないと割り切っている。
<雨>
レース開始から約2時間、20kmを過ぎた頃から徐々にペースが落ちてくる。
ここでトレランポール投入。
パラパラと降っていた雨がこのあたりから徐々に本降りに。
林道の至る所に池が出来始める。
雨の中のひとり旅。
去年のおんたけは大雨。私は出場しなかったが大変なレースだったようだ。
シューズが水浸しになり、ふやけた足で100マイルを走り、足の皮が剥けてしまった話を聞いていた。剥けた足で走る痛みはどんなに辛いだろう。
だから、極力足の中は濡らしたくない。
しかし、林道の池は徐々に大きくなっていき、足の踏み場がない状態になっていく。
上から降る雨と下に立ちふさがる池の中を走っているうちに、いつの間にか足はずぶ濡れの状態となっていた。
<二人旅>
すると、後ろからまたランナーが。
その選手は私に追いつくと私の名前を呼んだ。
去年の富士五湖112kmを走った時、本栖湖辺りをご一緒したことがある中井さんだ。
中井さんは走力が高いランナー。富士五湖では最後までついていけなかった。
ヘッドライトの薄明かりの中、よく自分を見つけてくれたものだ。
中井さんと会ったのは、レース開始から3時間ほど経過した頃。
普段の練習も長時間走がなかなか出来ないので、3時間以上走るとペースが落ちる時が来る。
3時間でエネルギー切れするウルトラマン。。。ダサ過ぎる。
今はまさにそんな時で、ペースを維持するのが辛い状態だった。
そんな時、幸いにも中井さんが声を掛けてくれて、会話しながら並走した。
ひとりで走ると歩きっぱなしになりそうな登りも、走りを織り交ぜる。
相手を待たせては悪いと思い、お互いが前を引っ張っていくような相乗効果で前を行く。
決してオーバーペースではないけれど、一人で走る場合に起きてしまうペースの「ムラ」が無くなったような気がした。
登りで、ゼッケン番号一桁台のランナーに抜かれた。
力強い走りで付いていけるペースではなかったので、競うことなく自分たちのペースを維持。
続けてもう一人にも。。
緩やかに順位を落としてはいるが、決して遅いペースではないと思った。
中井さんとは、頑張りどころと抜きどころのポイントが似ている。
平地・下りではしっかり走り、登りは極力無理しない。走力的に近いランナーと走れることで、いいリズムで走れている。
ひとつめのループを終え、第一関門通過。タイムは6時間11分。
旅の仲間を得て、意気揚々としていた。
■第一関門(52km)~第二関門(103km)
スタートしてから6時間強。
まだレースは始まったばかりだが、すでに総距離の3分の1を走っている。
一般的な100マイルレースは制限時間が36~48時間あるが、このおんたけは制限時間が24時間である。
100マイルレースとしては異常な短さ。
私のペースでキロ6分強、走れるレースだけのことはある。
関門を通過すると2つめのループに突入。
下り基調でペースがどんどん上がる。
走力のある中井さんと一緒に走ると本当に心強い。
<やる気スイッチ>
下り基調のロード区間に入る。
右手には王滝川が流れ、所々に狭いトンネルが通っている。
一人で走ったら結構心細いコースかも知れない。
二人の呼吸がシンクロしながら、キロ5分弱でペースを刻む。
「休もう」その一言が出そうになるけどなかなか出ない。一人だったらペースダウンしてしまいそうだが、相乗効果で走りが乗っている。前にも後ろにもランナーがいない状態だったが、間違いなくトップレベルで走れていると思える区間だった。
滝越を越え、ようやく100kmコースに復帰。
登りに入る手前でスタッフの方々が待っていた。中にはKINGさんも。
「今、9位、10位ですよ~」とKINGさんが教えてくれた。
もう少し後ろだと思っていたが、10位以内に入っていたのか。
入賞圏内?そう思うと自分の中でスイッチが入った。
世に言うやる気スイッチ。自分のスイッチは目の前のニンジンなのだろう。
登りに入ると、一人100マイルランナーを追い越した。先ほど抜かれたゼッケン1桁台のランナーだ。
自分は登りに弱いランナーのくせに、登りで上位ランナーをかわしているではないか。
「ひとりひとり拾っていきましょう!」
中井さんにそんな強気な言葉を掛けながら、鼻息荒く駆け上がっていった。
70kmを過ぎると徐々に空が明るくなってきた。朝だ。
殆ど人がいない100マイルコースから急に100kmコースに合流する。
ランナーが列を成して走っており、とても賑やかだ。
全然レベルは違うけど、ヤマケンさんがアンドラで感じたスーパーマリオの「無敵モード」に近い感覚だった。
自分は大食いだから、無敵状態のパックマンといったところか(笑)
目の前にいる100kmランナーに声援を送りながらパクパク食べていく。
普段なら登りでへこたれているというのに。あり得ない展開を楽しんでいた。
再び第一関門(72km)に到着。
そこには100kmランナーが50人以上集まり、野戦基地のような状態となっていた。
無敵状態で食べ過ぎたパックマンはトイレに行きたくなった。
2基しかないトイレに10人以上並んでおり、10分以上のタイムロスは必至。まぁ長旅なので仕方がない。
関門ではとも子さんに会うことが出来た。調子良さそう。
結局15分近くロスしてしまったが、好調な状態を維持したまま第一関門を後にした。
トイレで並んでいる間、中井さんが私を待ってくれていた。
70kmあたりから少し辛そうな感じだったが、さらに私を待って身体が冷えていないだろうか。
本当申し訳なく思った。
おそらくこの間に数人に抜かれたと思う。
挽回すべく先を急ぐ。
しばらく一緒に走っていると中井さんからGOサイン。先を行けと。
体調が思わしくないようだ。
今まで50km近く一緒に走ってきただけに、淋しく思った。
中井さんが復調して再び一緒に走れることを祈りつつ、75km地点付近で一人旅となった。
<一人旅>
第二関門までのコースは100kmコースと同じ。
100km地点までは下りと平坦路、100km地点過ぎると103kmの関門まで300m程登る。
ガレ場をつんざくように下る。
ガレ場は嫌いではない。
足裏に来る岩の突き上げは怖くないし、走行時の着地時間が短ければバランスを崩すリスクも少ない。
100kmランナーを追い抜きながら100マイルランナーを探すも、なかなか捕まえることが出来ない。
こんなに自分以外のランナーを意識したのは初めてだ。
途中、私が所属するランニングチーム「TBRC」の岩井さんに遭遇。少し辛そうに歩いていた。
距離的にはあと半分、ここが踏ん張り所と思い激励した。
<苦境>
100kmランナーを抜き続けていたが、90kmを過ぎてくると徐々に抜けなくなってきた。
自分がペースダウンしているのか、周りのランナーが速くなってきているのか。おそらく両方だろう。
無敵状態はいつの間にか終わっていた。
100km地点を過ぎた登り区間は、非常に辛いものとなった。
動かない脚に鞭打ってポールにすがる。
抜いてきた100kmランナーに続々とパスされる。
急登な訳ではない。
辛いが歩き続けてしまったらダメだ、そう思い、走ることは止めなかった。
100マイルはいい時ばかりではない、必ず悪い時も来る。
そこをどう乗り切るかが重要なんだ。
今年参加したチーム100マイルでは、「疲労度の高い状態からのレース展開」について特に学ぶべきことが多かった。
練習会の参加こそ少ないものの、鏑木 毅さんと100マイルの仲間の練習風景からも、重点的に取り組んでいるテーマなので、この重要性が伝わってくる。
自分は精神的に弱く、辛い時は踏ん張ることが出来ない。
すぐに楽な状態に逃げ込んでしまうというか、ペースを落としてしまう。
晴れてきた空からの陽射しがジリジリと追い討ちを掛ける。
そんな状態だったが、isoさんがいつか言っていた「1秒1秒を大切に….」のフレーズが頭をよぎった。
この区間を無駄にする訳にはいかない。
とにかくもがいた。
苦しみながらも、12時間30分程で第二関門到着。
後から知ったが区間6位の成績だった。
途中、15分のトイレ休憩や辛い区間もあったが、何とか凌げたと思う。
■第二関門(103km)~第三関門(115km)
第二関門にはトレラン仲間が大勢いた。桑原さん、ランブラーさん、isseiさん。
スタッフのかおちんさんからドロップバックをいただき、さっそく食糧補給。
食欲は十分ある。
100マイルレースでは脚以上に内臓が大事。
座ってしまうと走る意欲を失うので、立ったまま荷物を詰め替えた。
同じく野人の小口さんにドロップバックを預けて、約5分後、関門を後にした。
スタッフに順位を伺うと、8位だった。
<境地>
第三関門までは下り基調の12km。
レース中、最も短い区間だ。
先ほどまでの疲労は、いつの間にかふっと軽くなっていた。
苦境を乗り越えた後、身体が復活するというのは本当だった。
休んで回復を待つのでなく、攻めても回復することが出来た。これは大きな違いだと感じた。
100マイルのセオリーを自分で体験出来たことを嬉しく思った。
下りのガレ場を夢中で突き進む。
大腿筋が太いだけあって、ガレ場の衝撃はしっかり受け止められる。
精神的にも余裕が出て、時折、岩をスライドさせながらライドを楽しみながら走った。
第三関門到着。
タイムは、13時間23分。区間5位。
誰も抜いていないはずだが順位は7位に上がっていた。
■第三関門(115km)~ゴール(155km)
エイドでは蕎麦が振舞われたので、お代わり。
つゆの塩分が殊更旨く、全部飲み干した。
じろーさんが応援に来てくれていて、元気をもらった。
頭から水をかぶり、出発。
<天国>
第三関門からゴールの間には、最後の難所、3回目のループがある。
1,400mのピークを2つ越えて、ループに入る。
公式HPにはループの高低図は載っていない。登るのか下るのか全く分からない。
残り40kmには何が待ち受けているのだろう。
不安がよぎりながらもプッシュし続ける。
そんな時、見覚えのある人が現れた。
たくじさん。
なぜこんなところに。
よく見ると、グレゴリーの旗を掲げた私設エイドステーションがあった。
そして、なんとコカ・コーラを振舞ってくれているではないか。
しかも氷入りと来た!
まさに「ガレ場に下りたエンジェル」である。
一緒に走っていたランナーと一緒に黒炭酸の天国を味わった。
<ループ到来>
120kmを越え、100mのアップダウンを経て、131km地点の小エイド、氷ヶ瀬に到着。
ここからあと5kmでゴール地点なのだが、100マイルはここから20kmのループに入らなければならない。
右に行けばゴール、左に行けばループ。
まさに天国と地獄の選択のようだ。
ウォーターエイドで水分を補給し、スタッフの方から自分が6位であることを教えてもらった。
またいつの間にか順位が上がっている。先行するランナーも苦戦しているのだろう。
最後のループは、ひたすら登り。
今までのループは下り基調だったため、また下りじゃないかと淡い期待をしていたが、見事に裏切られた。
裏切られた分だけ余計にキツく感じる。
残り20km、食糧も底を尽きかけていた。
最後のジェルを飲み干し、残るは僅かなトレイルミックスだけ。
燃料切れといつまでも終わらない登り、そして後方から来るかも知れないランナーに不安を抱き始めていた。
柄にもない。
水が尽きてしまったので、湧き水から水を補給する。
後方が気になりながらも背に腹は替えられない。
5kmほどで登りは終わりと聞いていたが、その5km
登りきった後、踊り場のような場所を走っていると左の崖から黒い影が。
熊だ!
熊も驚いたのか、一瞬現れたかと思うとすぐに姿を消した。
ワンテンポ遅れたが、怖くなって熊鈴を振りまくった。
初めての熊遭遇に慌てふためいた。
もし熊と対峙していたらどうなっていただろう。。。
後ろから熊が来やしないか内心ヒヤヒヤしながら先を急いだ。
再び100kmコースに復帰。
残り10km、ここまで来たらやるしかない。
氷ヶ瀬までの林道をがむしゃらに駆け下りていく。
ここは誰もが走り飛ばす区間、ラストスパート。
何が起こるか分からない。
本当のトップアスリートはこんな時、順位へのこだわりよりも自分の走りに集中しているのだと思うが、自分はそうではなかった。初めて背負う入賞へのプレッシャーに、走る喜びよりも逃げる焦燥感を味わっていた。
凡人は泥臭いのだ。
最後のロード。あと5km。
前も後ろも気になって仕方がなかったが、守りの走りだけはしたくない。
先行する100kmランナーをひとりひとりパスし、松原スポーツセンターにたどり着く。
最後の登りを走り通し、バックストレートに入る。
ゴール前をダッシュで駆け抜けた。
155km、19時間43分01秒、自分の旅は終わった。
総合6位、年代別1位。
思いがけない順位に喜びも苦しみも味わった。
普段は順位へのプレッシャーなんて微塵も感じることはなかったが、今回は上位争いの厳しさを経験することが出来た。
苦しくても自分をプッシュし続ける精神力。
自分にはまだまだ備わっていないと思った。
だけど、今までよりも攻めの姿勢で走れたことは収穫だった。
ゴールしてS-LAB5を脱いだら、足の裏は擦り向けていた。
小学校の50mですら一等賞になったことがない鈍足が初めて獲ったのは、100マイルレースの一等賞。
この経験を無駄にせず次につなげていきたい。